三重外科集談会 沿革 ▼HOME

日本臨床外科学会三重県支部の沿革と現況

水本 龍二

1.沿革:昭和26年初頭に県下の外科医が互いに切磋琢磨する場を持とうとの機運が高まり、三重県立医科大学外科山本俊介教授が発起人となって三重外科集談会が発足し、同年6月23日に第1回学術集会が開催され、6題の演題が発表された。以後、毎年5回開催され、平成14年7月には第247回を迎えている。なお、昭和28年には三重県医師会が主催する三重医学会の外科分科会となっている。
 当初の参加者は主に三重県立医大第1外科関連の外科医であったが、外科系診療科の専門分化に伴い、第2外科や整形外科、胸部外科も参加するようになり、さらに三重大学でも麻酔科や脳神経外科が独立してこれらの教室も参加するようになり、一般演題も毎回30題を越えるようになって、討論も一段と活発になった。なお、これまでに発表された演題の抄録は三重大学医学部発行の"三重医学"に掲載されている。その後、整形外科や麻酔科、脳神経外科も独自の地方会を持つようになって分離独立し、三重外科集談会は一般外科と胸部外科が中心となった。

2.日本臨床外科学会三重県支部:平成2年12月の三重外科集談会総会で日本臨床外科医学会に三重県支部として申請することが議決され、平成3年6月に日本臨床外科医学会としては13番目の支部加盟が承認された。これに伴い、従来は役員が三重大学外科関係者に限られていたのを改めて、名古屋大学系や慶應義塾大学系などの関連病院の先生方にも幹事に就任していただくようになり、名実ともに三重県医学会外科分科会の体裁を整えることになり、討論も一層活発となった。また、発表演題の抄録は日本臨床外科学会雑誌に掲載されるようになった。

3.学会活動:毎年5回;2月に始まり2〜3ヵ月毎に県下の主要病院が当番会長となって当該病院近辺の会場で学術集会を開催している。事務局は三重大学第1外科に置かれており、毎年12月の例会は事務局が主催し、学術講演終了後に総会を開催し、引き続き忘年会を兼ねて会員懇親会をもっている。年会費は2000円、現在の会員数は約400名で、毎回100名位の会員が参加している。一般演題は毎回20〜30題、時に特別講演が企画されている。日本臨床外科学会の支部加盟後に行われた特別企画としては、平成5年2月に創立200回を記念して、三重大学第2外科鈴木宏志教授による"小児外科医が大腸外科から学んだもの"、胸部外科草川 實教授の"胸部大動脈瘤の外科治療"、第1外科水本龍二(教授)の"胆道癌外科的治療の変遷"、厚生連松阪総合病院竹内藤吉院長による"三重外科集談会の回顧"の特別講演が行われた。その後、平成6年の第205回では三重大学胸部外科の矢田 公教授による"純型僧帽弁不全に対する弁形成術"、第207回には藤田保健衛生大学七栗サナトリウム外科渡邊 正教授による"再発癌の治療"、第209回では三重大学第1外科川原田嘉文教授による"MOFの病態ー特に肝広範切除後の炎症性サイトカイン並びにエイコサノイドの変動ー"、さらに、最近では三重大学外科学教室の教授交替にともなって、平成12年12月の第239回で第2外科の楠 正人教授による"潰瘍性大腸炎の外科治療"、平成14年2月の第245回では第1外科上本伸二教授による"生体肝移植と肝臓外科"の特別講演が行われている。

4.問題点:日本臨床外科学会三重県支部集会は古くから三重県医師会主催の三重医学会の外科分化会となっているが、純粋に学術発表の場となっており、日本医師会が重視している診療報酬などの医療業務に関する問題は全く取り上げられていない。そのためか参加者は病院勤務医が主体であって診療所医師の参加が殆ど無いのが残念である。

(日本臨床外科学会雑誌第64巻9月号掲載)



三重県支部の沿革と現況

水本 龍二

 三重県支部は昭和26年に三重県立医科大学外科山本俊介教授が発起人となって三重外科集談会として発足し、以後、毎年5回開催され、平成11年2月で第230回を迎えている。
 その沿革は大別して次の4期に分けることができる。

 第1期(揺籃期;昭和26年−33年):昭和26年初頭に三重県立医科大学外科(第1外科)を中心に、県下の外科医が互いに切磋琢磨する場を持とうとの機運が高まり、昭和26年6月23日に第1回三重外科集談会が開催され、6題の演題が発表された。第4回では当時県立志摩病院に赴任していた半田肇先生(後に京都大学脳神経外科初代教授)が"術後ショック"の演題で発表されているが、三重大学第1外科とその関連病院からの発表が主なものであった。なお、昭和28年には三重県医師会の学術集会である三重医学会の分科会として承認されている。

 第2期(発展期;昭和34−50年):昭和28年に三重県立医科大学附属塩浜分院外科(第2外科)に藤野敏行教授が就任し、昭和31年には本院整形外科に鶴田登代志教授、昭和32年には胸部外科に久保克行教授がそれぞれ就任され、その後これら各科及び全県下の病院が三重外科集談会に参加するようになり、昭和47年2月の第100回では11題の演題が発表された。なお、三重県立大学は昭和47年度に国立に移管した。また、この間に整形外科の地方会が独立している。

 第3期(成熟期;昭和51−平成2年):昭和51年9月には山本俊介教授の後任として三重大学第1外科に水本龍二教授が着任し、同月に開催された第119回では山本名誉教授および厚生連松阪中央総合病院竹内藤吉院長による"三重外科集談会を顧みて"の特別講演があり、次いで同年12月の第120回では水本教授による"肝癌の外科的治療"の特別講演が行われている。三重大学では昭和53年1月に麻酔科の宗行万之助教授、同年9月には第2外科に鈴木宏志教授、胸部外科に草川 實教授、脳神経外科に和賀志郎教授が着任され、これらの教室も三重外科集談会に参加するようになり、一般演題も毎回30題を越えるようになって、討論も一段と活発になった。なお、これまでに発表された演題の抄録は三重大学医学部発行の"三重医学"に掲載されている。その後、麻酔科や脳神経外科も独自の地方会を持つようになって分離独立した。

 第4期(日本臨床外科医学会三重県支部;平成3年−現在):平成2年12月の三重外科集談会総会で日本臨床外科医学会支部として申請することになり、平成3年6月に三重県支部として加盟が承認された。会長には水本龍二教授が就任し、発表演題の抄録は日本臨床外科医学会雑誌に掲載されるようになった。
 これに伴い、従来は役員が三重大学外科関係者に限られていたのを改めて、名古屋大学や慶應義塾大学などの関連病院の先生方にも就任していただいて、名実ともに三重県医学会外科分科会に体裁を整えることになり、討論も一層活発となった。平成5年2月には第200回を記念して鈴木教授の"小児外科医が大腸外科から学んだもの"、草川教授の"胸部大動脈瘤の外科治療"、水本龍二教授の"胆道癌外科的治療の変遷"、竹内藤吉院長の"三重外科集談会の回顧"の特別講演が行われた。
 その後胸部外科の草川教授、平成6年には第1外科の水本教授が退職され、後任として矢田 公教授、川原田嘉文教授が着任されて、それぞれ第205回、第209回に就任記念特別講演が行われている。また、平成6年7月の第207回では藤田保健衛生大学七栗サナトリウム外科渡邊 正教授の特別講演が行われた。  現在の会員数は約400名で、事務局は三重大学第1外科に置かれており、毎年12月には学術講演終了後に総会を開催し、引き続き忘年会を兼ねて会員懇親会をもっている。

(日本臨床外科学会雑誌第60巻増刊号掲載)